「A案」の原動力は「誠実さ」なのか?

臓器移植法改正案」の審議が、よからぬ方向に進んでいるように思います。
7月9日のエントリーでも触れましたが、東京都議会議員選挙の結果によっては、衆議院の解散もあるという状況で、参議院での審議を打ち切り、早くも本会議での採決を「強行」するような状況でもあります。

よからぬ方向、というのは、こうした「拙速な審議」に対する「反対」が、「専門家」からあがっているからです。
生命倫理」の研究・教育に携わる大学教員は、「拙速な審議」に反対しています。
 生命倫理会議
「宗教」の専門家も、「脳死」や少なくとも「拙速な審議」に反対しています。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090708-00000006-cbn-soci

それだけではなく、最後に触れますが、「A案」を支持する方々には、この「脳死臓器移植」という問題を真剣に、そして誠実に検討しようという意志が、ないのではないかと思えてしまうからです。

ところで、こうした状況で、ふと思ったのは、「脳死」の専門家って誰なのだろうか、ということです。
「国会議員」でしょうか?
いや、それは、ありえません。国会議員は「政治家」であって研究者ではないのですから。医師免許を持った議員の方なら知識はお持ちかもしれませんが、臨床・研究から遠ざかっている「単なる医師免許所有者」は、専門家とは呼べないのではないでしょうか。
それなら医師である「日本移植学会の医師」でしょうか?
日本移植学会の方々は「A案」支持なわけですが、それは「脳死」の専門家だから、というようには考えられないと思います。
日本移植学会の「学会の目的」は、「本会は、移植およびその関連分野の進歩普及をはかるとともに、人類の福祉に貢献することを目的とする。」ということです。http://www.asas.or.jp/jst/gakkai.html
つまり、日本移植学会というのは、「移植」の進歩普及のための「学会」なわけです。「脳死状態」の患者の治療を専門にしている学会ではありません。あくまでも「移植」の専門家のハズです。
そうであるならば、移植の専門家の医師が、「ドナー」について語るのは、「脳死状態の患者の治療」に関して豊富な経験を持つからではない、と考えられます。「臓器移植」の治療成績を高めるには、一般的に、より「新鮮」な状態の臓器が必要なわけです。「移植」の専門家が「ドナー」に関わるのは、「ドナー管理」つまり「ドナーの臓器を新鮮に保つ」ためであって、「脳死状態の患者を治療する」ためではないわけです。
このように考えれば、「移植」の専門家が、「脳死は人の死」と言っても、それは明らかに「移植のため」の主張なのではないかと思うのです。

現在の「改正案」論議で焦点になっているのが「脳死は人の死かどうか」や「小児の脳死判定」であるならば、より適切な「専門家」は他にいるはずです。

「小児の脳死判定」の専門家は、やはり「小児の脳死状態」について豊富な知識と経験を持つ医師が考えられます。
たとえば、日本小児科学会は2006年5月21日付の発表で、A案に反対しています。
 臓器移植関連法案改正についての日本小児科学会の考え方
そして、「子どもの脳死臓器移植プロジェクト」という委員会を設置して検討しているところです。(この委員会については、6月21日のエントリーで、その報道のされ方について触れました。)
 子どもの脳死臓器移植プロジェクト
そうであるならば、小児科学会の見解を待つのが、「専門家」を尊重することなのではないかと思います。

そして、「脳死臓器移植」についての研究者は他にもいます。
7月9日のエントリーで一覧を提示しましたが、今回の参議院厚労委員会には、臏島次郎(ぬで島次郎)氏や森岡正博氏、そして米本昌平氏も参考人として呼ばれていました。
米本昌平氏と言えば、「生命倫理」に関わる研究をしていれば知らない人はいない方です(「生命倫理」に関わる研究をしているという自覚があるのに、米本氏の名前を初めて聞いたという方は、失礼ですが「勉強不足」です)。そして、「脳死臨調」の委員だった方です。『バイオエシックス (講談社現代新書 (759))』や『先端医療革命―その技術・思想・制度 (中公新書)』をはじめ、最近では『バイオポリティクス―人体を管理するとはどういうことか (中公新書)』などを書かれています。
ぬで島次郎氏は生命倫理政策についての専門家であり、脳死臓器移植に関わる政策の国際比較なども研究されている方です。『先端医療のルール-人体利用はどこまで許されるのか (講談社現代新書)』や『脳死・臓器移植と日本社会―死と死後を決める作法』などを書かれています。
そして森岡正博氏は、1980年代から「脳死」に関しても鋭い見解を示してきた方です。森岡氏は『生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想』などで、ラザロ徴候にいち早く着目した方でもあります。また『脳死の人―生命学の視点から』(初版1989年)も忘れてはならない著作です。

「医師」ではなくとも、いや、「医師」ではないからこそ、見えてくるものがあるのです。

ところが、7月7日に参議院厚労委員会で、参考人として意見表明した森岡正博氏も嘆く「実態」があります。何かと言えば、国会議員よりもよっぽど「専門家」だと言える森岡正博氏の委員会での指摘を、A案提出者は完全に無視している、さらに「虚偽」の答弁をしている、ということです。それが「虚偽」であることは、9日の審議で明らかにされています。以下、森岡氏のブログで一連の経過が確認できます。(ちなみに、森岡氏が嘆いてらっしゃる「議員」も「医師」です。)
 長期脳死、本人の意思表示@参議院での発言 - kanjinaiのブログ
 これが「政治」の醜さでしょう@参議院 - kanjinaiのブログ
 小池晃議員によって嘘は正された - kanjinaiのブログ

僕自身も5月24日のエントリー6月16日のエントリーなどで言及してきたWHOの(新)移植指針について、嬉しいことに、「生命倫理会議」も事実と異なるような報道がなされていると指摘していました。生命倫理会議: 衆議院A案可決に対する緊急声明
さらに、これに関連して、7月8日発売の『世界』8月号に掲載されている小松美彦氏の「臓器移植法改定 A案の本質は何か―「脳死=人の死」から「尊厳死」へ」という論考でも、「A案はWHOが推奨する臓器移植法案です」と書かれた「A案提出者一同」の名による「簡略文書」が6月18日の「衆院本会議の各議員の席上に配布されたという。」と指摘されています(49頁)。
少なくとも、僕が5月25日のエントリーでWHOの移植指針を検討した限り、A案は(新)移植指針に反する可能性すら有する「改正案」でした。それにも関わらず、小松氏が指摘する文書が存在するのだとすれば、「A案提出者一同」の方々は、少なくとも「誠実」な方々ではないと言えるのではないでしょうか。

森岡氏や小松氏の指摘をまとめると、「A案」を提出した方々や支持する方々は、「脳死臓器移植」について真剣に誠実に議論し、より正しい「結論」を得ようとしているのではないように思えてしまいます。
「移植を待つ患者」の方々の存在を軽視するつもりはありませんが、「子どもの脳死」や「脳死は人の死」という論点に関して、これから「専門的な議論」を始めようとしていたり、多くの専門家が「慎重な審議」を求めている状況で、それらを無視するということは、何か怖い気がします。

「移植推進派」と目される「産経新聞」が、衆議院でのA案可決を報じる記事に、興味深い見出しを打っています。ちなみに、この記事でも小松氏が指摘した「文書」に言及されています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090619-00000154-san-pol
「「ロビー活動」が奏功」という見出し。実際の紙面では、もっとも目立つ見出しがこの文言です。
今国会での「臓器移植法改正」論議とは、いったい何なのか。そこにあるのが、議論や審議ではなく「ロビー活動」だけなのだとしたら、それも「誠実ではない情報」を流すことで進めている活動だとしたら。
自民党のベテラン議員のための「花道」ではなく、「移植を待つ患者のため」であったとしても、いや、「移植を待つ患者のため」だからこそ、後に様々な「疑念」や「懸念」を残すことなく、多くの人が「納得」できる結論に至ることが必要なのではないでしょうか。だからこそ、その「やり方」は問われるべきなのではないかと思います。