藤田弘夫先生のこと

ごくごく私的なことを書きます。
長年に渡り指導をして頂いた、藤田弘夫先生のことです。
http://hiroofhp.hp.infoseek.co.jp/

(以下、敬称を略します)
藤田弘夫は、学部時代に西洋史を専攻し、大学院に進んでからは矢崎武夫らに社会学を学んだと聞いています。
矢崎武夫は、都市社会学シカゴ学派の中心人物の一人であるルイス・ワースに学んでいるので、藤田弘夫はワースの孫弟子にあたります。考え方によっては、日本におけるシカゴ学派の主流とも言えるのかも知れません。ちなみにWikipediaでの「矢崎武夫」の項目は、藤田弘夫がまとめた文章をもとにしたものとなっています。藤田弘夫が「先生」と呼んでいたのは、僕が知る限り、矢崎武夫と、『歴史学的方法の基準』などの著書がある中井信彦のお二人でした。


学生時代にヨーロッパの諸都市を訪れ、文献で知った「都市」と実際の「都市」との違いに気付かれたことがきっかけで、都市社会学を勉強されたとの話を伺った記憶があります。博士論文をまとめられた『日本都市の社会学的特質』が、最初の単著となっています。

都市の論理―権力はなぜ都市を必要とするか (中公新書)』は、新書ということもあり、もっとも読まれた著作です。
権力を「支配」と「保障」との関係で捉え、その権力概念にもとづいた都市論と言えるでしょうか。「都市」と「農村」との関係を、食糧の絶対的余剰と社会的余剰の違いから考えるなど、かなりユニークな都市論・都市社会学が展開されています。『都市と権力―飢餓と飽食の歴史社会学』は、有名な創文社のシリーズの一冊として刊行されているものです。『都市の論理』の専門書版と言っていいかもしれません。

その後は、『都市と文明の比較社会学―環境・リスク・公共性 (社会学シリーズ)』から『ゆらぐ「官尊民卑」 路上の国柄』と著作を出版されていました。「公共性」というか、「公」と「私」の関係について、いわゆる政治哲学的な議論とは異なるユニークな視点からの分析を行っていました。とくに『路上の国柄』にみられるように、誰もが見過ごすような街角の看板から「公−私」関係へと論を展開することが、近年の研究の中心でした。

いわゆる「都市社会学」とは異なるのかもしれませんが、「都市」に対する社会学的なまなざしを向けていたという意味において、藤田弘夫は都市社会学者であったと言えるでしょう。

藤田弘夫のユニークな視点は、都市研究において、マックス・ウェーバーと並び、ルイス・マンフォードを好んでいたことにも現れています。とくにマンフォードへの着目から、パトリック・ゲデスを「再発見」し、ゲデスや初期シカゴ学派が残した論文を翻訳し、まとめた論文集を準備されていました。「都市社会学は、シカゴ学派から始まった」とされる「都市社会学の歴史」観を書き換えようとされたものです。
「学史」研究の多くが、「学説史」研究となってしまい、「学問の歴史」を扱う研究がみられないことを嘆いていたことが、思い出されます。

権力から読みとく現代人の社会学・入門 (有斐閣アルマ)』など教科書的な編著も多くあります。こうしたテキストを指定しつつ、ここ数年の講義では、パワーポイントで写真や図版を見せながら進めるというスタイルをとっていたようです。「公共性」について、新たな著作の準備とともに、新たな講義内容を準備されていたと聞いています。


藤田弘夫先生については、すでに訃報に接した方も多いかもしれません。

藤田弘夫氏死去 慶応大教授
 藤田 弘夫氏(ふじた・ひろお=慶応大教授、都市社会学)14日午後9時36分、胃がんのため東京都新宿区の病院で死去、62歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻智子(ともこ)さん。

http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009101601000419.html

8月末の高遠ブックフェスティバルにもご一緒しましたし、つい先日も、電話でしたがお話ししたばかりでした。
研究領域が必ずしも重なるわけではなく、とくに「生命倫理/バイオエシックス」関連の研究については、ほとんど指導らしい指導を受けたとは思っていませんでした。
それでも、こうして先生が亡くなられてみて、自分自身にとって名実ともに「恩師」と呼べる(呼ばせて頂きたい)のは藤田先生だけなのかもしれないと感じている、ここ数日です。

いまはただただ、藤田弘夫先生のご冥福をお祈りしています。