『メタバイオエシックスの構築へ――生命倫理を問いなおす』

昨秋からいろいろあって、このブログの更新が滞ってしまっていました。
藤田弘夫先生の「お別れの会」のご報告もまだでした。それについては、また改めてさせて頂きます。

さて、昨日2月25日にNTT出版から小松美彦・香川知晶編『メタバイオエシックスの構築へ―生命倫理を問いなおす』が発売されました。この本は、『思想』2005年第9号(No.977)のメタ・バイオエシックス特集に続くもので、その後も精力的に活動してきた「メタバイオエシックス」研究グループの新たな一里塚です。
次のような目次になっています(メインタイトル後のカッコ内は執筆者)。

序章  メタバイオエシックスの構築に向けて(小松美彦

第一部
第2章 「バイオエシックスの誕生」はどのように理解されているのか(皆吉淳平)
     ――米国バイオエシックス研究者の歴史認識とその検討
第3章 「バイオエシックス」は応用法(学)か(田中丹史)
     ――『バイオエシックス百科事典』の分析
第4章 バイオエシックスの歴史(森本直子)
     ――文化的背景からのアプローチ:ウォーレン・T・ライク講演から

第二部
第5章 医の倫理からバイオエシックスへの転回(廣野喜幸)

第6章 バイオエシックスにおける原則主義の帰趨(香川知晶)

第7章 忘却されし者へ眼差しを(土井健司)
     ――バイオエシックス・人間愛・キリスト教
第8章 「尊厳死」思想の淵源(大谷いづみ)
     ――J・フレッチャーのanti-dysthanasia概念とバイオエシックスの交錯
終章  生命倫理に問う(田中智彦)
     ――忘れてはならないことのために
人名索引
事項索引
NTT出版のサイトでの紹介はこちら

恥ずかしながら、私・皆吉が第2章を執筆しています。
というわけで以下、分担執筆者の一人によるあくまでも私的で主観的な紹介です。

「バイオエシックスそのもの」を問う
落ち着いたクリーム色のカバー、そして桜色の帯には「生命(いのち)が今こそ、語り直されなくてはならない!文明論、歴史、メタ科学、経済批判、生権力の視点から」とあります。この本で目指されているのは、脳死臓器移植や安楽死尊厳死、生殖補助技術や万能細胞研究などの個別具体的な問題に解決策を見出すことではありません。そもそもの「バイオエシックス生命倫理」とは何であったのか、「バイオエシックス生命倫理」に欠けていた視点は何か、ということを検討するものです。つまり、広い意味で「バイオエシックスの歴史」研究に属するものとも言えます。
日本の「生命倫理(学)」は「アメリカのバイオエシックス」を輸入してできた学問領域と言われることもありますが、「アメリカのバイオエシックス」とは、どのようなものだったのかということが明らかにされているわけです。
このように、具体的な問題を扱うのではなく、「バイオエシックスそのもの」を対象としているという意味において「メタ」研究であり「メタバイオエシックス」というわけです。そして、こうした既存の枠組みへの再検討という意味で、副題となっている「生命倫理を問いなおす」というわけです(この理解に対して、本書「まえがき」で示されている内容については後述)。

さて、編者であり執筆者でもある香川知晶氏は、バイオエシックスの歴史研究において、日本で最も著名な研究者の一人と言ってよいかと思います。『生命倫理の成立―人体実験・臓器移植・治療停止』やカレン・クインラン事件を詳細に検討し「米国のバイオエシックスの転回」を明らかにした『死ぬ権利』、新書として一般向けに書かれながら根本的な論点を明らかにしてゆく『命は誰のものか』などの著作があります。
もう一人の編者であり執筆者である小松美彦氏や第二部の執筆者の方々はいずれも、生命倫理学会に多い医学系・看護学系や法学系ではありませんが、それぞれの専門領域ではよく知られている研究者です。その方々が、既存の「バイオエシックス生命倫理」に「欠けていた視点」を明らかにしています。
第一部を執筆しているのは比較的「若手」の研究者ということになるのですが、これまでの「バイオエシックスの歴史」研究では行われていなかった調査や『バイオエシックス百科事典』の分析が行われています。加えて、この『バイオエシックス百科事典』の初版と第二版の編集主幹であるウォーレン・T・ライク氏が2007年に行った「バイオエシックスの歴史」についての講演がまとめられています。この第一部では、日本の「生命倫理(学)」が前提としていることに再検討を迫る内容となっています。

人文社会系の知
ところで、「バイオエシックス生命倫理」は学際的な研究領域とも言われます。そこで、編著者略歴に挙げられている執筆者の専門領域を列挙すると…(一人で複数の領域が示されているものも含みます)

科学史科学論、生命倫理学、フランス哲学、応用倫理学社会学科学史科学技術社会論、医事法、英米法、憲法、生命論、進化生態学科学史科学論、応用倫理学、古代キリスト教思想史、キリスト教生命倫理生命倫理学(史)、安楽死尊厳死論史、政治思想、医療思想

となります。科学史科学論を一つの軸にしつつも、多様なバックグラウンドを有する「人文社会系」の研究者が集まっています。たしかに「医学」「看護学」の専門家や実務家の方はいませんが、逆に言えば、「バイオエシックス生命倫理」を人文社会系の知を用いて分析・検討するものだと言えるのではないかと思います。

バイオエシックスの背後にあるもの
香川知晶氏による「まえがき」では、現状の「バイオエシックスのあり方」への不満があったとして、その不満が妥当であるのか「バイオエシックスの現状を精査することが必要」と指摘されています。そして、それだけではなく、「精査されたバイオエシックスの現状がよって来たるゆえん、現状をもたらした背後の理由あるいは現状を駆動している隠された力をさらに探索する必要がある」と指摘されています(香川知晶「まえがき」『メタバイオエシックスの構築へ』III頁)。
「バイオエシックスの現状を精査すること」と「現状をもたらした背後の理由あるいは現状を駆動している隠された力」を探索すること。この二重の作業が必要なはずなのです。それに続いて次のように述べられています。

バイオエシックスと呼ばれる営為をめぐって、現在を語るという課題に応えようとすれば、何よりもまず、こうした二重の作業を遂行することが不可欠である。本書が生命(いのち)の倫理を問いなおし、メタバイオエシックスを標榜する理由は、そこにある。
(香川知晶「まえがき」『メタバイオエシックスの構築へ』NTT出版、2010年、III頁)

デイヴィッド・ロスマンの『ベッド・サイドの他人』やアルバート・ジョンセンの『生命倫理学の誕生』など、「バイオエシックスの歴史」研究の重要文献の邦訳も刊行されています。これらの翻訳文献に加えて、本書の刊行によって、日本でも「アメリカのバイオエシックスの歴史」研究が広く知られ、さらには、「日本の生命倫理(≒バイオエシックス)の歴史」研究も進んでゆくのではないかと期待しています。そしてこうした研究が見据えているのは、「現在」そして「未来」なのです。そのためにも、本書をめぐる議論が活発化することで、「バイオエシックス生命倫理」への問いなおしにつながれば、と願っています。

本書の値段の設定(3200円+税)は一般書というよりも「学術書」ですが、わかり易く書かれたものです(少なくともわかり易く書くという方針のもとに書かれたものです…)。「生命倫理学」の専門家・研究者だけでなく、少しでも「生命倫理」や「バイオエシックス」に興味のある方、「バイオエシックス」や「生命倫理」の現状に不満のある方にも、手にとって頂けると嬉しいです。ここ数年の「メタバイオエシックス」研究の新たな一里塚となるものですので、一人でも多くの方に読んで頂けると嬉しいです。


メタバイオエシックスの構築へ―生命倫理を問いなおす

メタバイオエシックスの構築へ―生命倫理を問いなおす