「臓器移植法改正」論議への視点(メタ分析)

臓器移植法改正」論議をめぐる新聞メディアの報道を見ていると、議論の立て方が単純化してしまっているように感じます。

「改正」論議が政治的な話題になるとともに、新聞メディアでの取り扱われ方も変わりました。それまでは医療や生活の話題の一つだったのが、政治の話題となりました。わかり易く言えば、新聞の1面や2面・3面など政治を扱う枠で報じられるようになったのです。
だからと言って、より「高尚な」議論が展開されているわけではありません。そこで、繰り広げられる主張は、「批判」的な視点を感じさせるのではありますが、「批判」のあり方がとても単純なのです。図式化すれば、次のようになるでしょう。

  • (1)移植を待つ患者がいる(子どもがいる)
  • (2)臓器移植法が臓器提供を制限している
  • (3)国会は臓器移植法改正案を審議せずにいた(法律の改正を行わずにきた)
  • (4)ゆえに、批判されるべきは、審議を先延ばしする国会のあり方である

こうした「批判」の図式は、移植を待つ患者、海外に渡航するしかない子どもたちを報じる場合も大同小異でしょう。

しかし、この「批判」の図式こそ、批判されるべきものだと思われます。

まず「(1)移植を待つ患者がいる」ということは、動かしがたい事実です。また、「(3)国会は臓器移植法改正案を審議せずにいた」というのも、正確ではないにせよ、法律が「改正」されていないという意味では間違いではないでしょう。*1
つまり、(1)と(3)については「事実」についての言明だと考えていいでしょう。*2

それに対して、「(2)臓器移植法が臓器提供を制限している」については、かなり「解釈」が込められています。
たしかに、移植を待つ患者の立場からは、現在の臓器移植法は「移植禁止法」であり、それが臓器提供数が増えないことの理由とされています。臓器移植患者団体連絡会の要望書には、そうした見方がよく現れています。
またいわゆるA案を支持する日本移植学会などの立場からも、現在の臓器移植法に対して、同様の見方がされていると言えるでしょう。日本移植学会の主張はコチラ
A案支持の国会議員の方々の主張は、移植学会作成の資料などに、ほぼそのまま依拠していると考えてもよさそうです。

その一方で、現在の臓器移植法は「本人の意思決定」があることを厳格に求めたもので、本人の意に反した臓器提供が行われることがない、という意味では臓器提供者の人権を尊重するものなのです。
そもそも「臓器提供」とはどのようなことなのか。
脳死状態の患者(あるいは「脳死した者の身体」)から臓器を摘出するということは、その身体を傷つける行為です。もちろん、一般的な外科手術も同様なのですが、こうした行為が許されるのは、本人の意志に反していない場合です。これこそ、インフォームド・コンセントや「自律尊重原則」などバイオエシックスによって確立された現代医療が守るべき事柄です。
だから、現在の臓器移植法が厳格に「本人の意思表示」を求めることは、現代医療の倫理において、もっとも基本的な事柄なのです。
例えば、日本弁護士連合会は会長声明で現行法を評価しています。そして「改正」案のなかでもA案など本人の自己決定を否定する考え方を含むものを批判しています。http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/090507_1.html

臓器提供の条件を緩和するということ、本人の意思表示が無い場合でも臓器提供できるようにするということが、インフォームド・コンセントや「患者の自己決定」あるいは「自律尊重原則」に反するという見方もできるわけです。そして、この見方からすれば、現在の日本の「臓器移植法」は世界に誇るべきものであり、決して遅れたものではない、ということです。「国際標準から外れている」というのは、すなわち、世界で唯一のもの、移植実施件数が「ナンバーワン」の法律ではなく、その内容・クオリティにおいて「オンリーワン」の法律なのかもしれないわけです。

このように「(2)臓器移植法が臓器提供を制限している」というのは、事実についての言明ではなく、明らかに価値判断の加わったものです。井田良氏のような刑法学者がA案を支持するのに対して*3日弁連会長はA案を批判しているわけです。法律の実務家・専門家の間にも意見の対立があるのです。
もしこの(2)に対する価値判断を反転すれば、次のような考え方になるのではないでしょうか。

  • (1)移植を待つ患者がいる(子どもがいる)
  • (2*)臓器移植法は臓器提供者の人権を保護している
  • (3)国会は臓器移植法改正案を審議せずにいた(法律の改正を行わずにきた)
  • (4*)現在、臓器移植法「改正」が求められている
  • (5*)しかし、臓器提供者の人権侵害を許すような「改正」は批判されるべきである。

おそらく最も危惧すべきは、何もわかっていない国会議員が一時の感情によって突き動かされること、単純な「批判」の図式に流されてしまうこと、です。
付け加えれば、採決が1年先送りされたと報じられているWHOの臓器移植指針ですが、この指針の主眼は、臓器売買を伴う「移植ツーリズム」の制限です。WHOの移植指針(採決予定の案)へのリンクがあるページ(英文) *4

単純な「批判」の図式に流されること、臓器移植法の原文やWHOの指針など、よく読みもしないで論じること、少なくとも良識のある研究者、良識のある人間ならば、こうした安易な論調には流されないようにしたいものです。*5

*1:たしかに臓器移植法の附則第二条では「この法律による臓器の移植については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする。」と定められています。ただし、この条文を「臓器提供の条件を緩和するように改正する」ことを定めたと解釈することは、出来るのでしょうか?

*2:もちろん、「移植を待つ患者」が、「移植を受ければ必ず生き延びることが出来る」と言えるわけではないのですが。

*3:5月10日の朝日新聞オピニオン面参照

*4:国際移植学会でのイスタンブール宣言については、3ヶ月程度で翻訳を公開した日本移植学会も、WHOの指針については何もしないようです。それは、この指針を日本語で読まれてしまったら困るから、なのでしょうか…

*5:WHO指針の目的の違いを指摘し、一夜漬けでの採決を憂慮する2009年5月11日の毎日新聞社説は、とても「批判的」な主張ではないでしょうか。http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20090511ddm004070015000c.html