親族への優先提供について(基本的理念と改正案との矛盾)

ここ数日、いろいろと「臓器移植法改正」をめぐる報道がなされています。
与野党の対立が表面化しない「いのち」に関わる法案ということなのか、一見したところ「改『正』」であるからなのか、あるいは、臓器移植法「改正」を求める人々の声が大きくなっているからなのか。
提出されている改正案は3つあり、その一本化が目指されるとの報道もあります。
いずれにせよ、5月中旬には衆参両院での採決を目指すというのが規定路線のようです。

さて、改正案に盛り込まれていながら、新聞メディアが注目していないポイントがあります。
それが「親族への優先提供」です。

2009年4月17日のエントリーでもちょっと触れたのですが、改めて。新聞メディアが看過している重要なポイントなので。


「親族への優先提供」というのは、「ドナーによるレシピエントの指定」「レシピエントを指定した上での臓器の提供」(Designated Organ Donation、DOD)の一種です。つまり、ドナー(臓器提供者)が生前に提供先(移植を受ける患者、レシピエント)を指定して、臓器の提供を行うというもので、「親族への優先提供」という場合は、この臓器の提供先の範囲を「親族」に限定したものです。
現行の臓器移植法では、この「レシピエントを指定した上での臓器の提供」は認められていません。正確に言えば、DODに関する規定は明記されていなかったのですが、2001年7月1日に関東甲信越地方の60歳代の男性から腎臓提供があった事例(移植ネットワークの表記では第14例)は、親族2人を臓器の提供先として指定した上でのものでした。この事例について厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会が、参考人聴取、パブリックコメント募集など計7回の会合で議論をした末に、2002年7月11日付で「臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱いについて」を公表しています。そこでは「当面の実務上」の対応として、「脳死・心臓死の区別や臓器の別に関わらず、親族に限定する場合も含めて、臓器提供先を指定する本人の生前意思に基づく臓器提供を、現時点においては認めないこととする」と結論されています。

では、なぜ、親族を含めたレシピエントを指定した臓器の提供は認められないのか。
もっとも大きな理由は、現行の臓器移植法の「基本的理念」に反するからです。
現行の臓器移植法は、第二条で次のように定めています。

(基本的理念)
第二条
 死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重されなければならない。
2 移植術に使用されるための臓器の提供は、任意にされたものでなければならない。
3 臓器の移植は、移植術に使用されるための臓器が人道的精神に基づいて提供されるものであることにかんがみ、移植術を必要とする者に対して適切に行われなければならない。
4 移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。

「移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。」というわけで、親族だろうがレシピエントを指定した臓器提供を認めることは、移植を待つ患者の立場から考えれば「不公平」ということになるわけです。
さらに、「親族」の規定が曖昧であれば、「親族への提供」を名目にした臓器売買の可能性も排除できなくなります。
だから、こうしたレシピエントを指定した臓器提供は、認めないわけです。

こうした議論の経緯のあった「親族への優先提供」が、「A案」と「B案」に盛り込まれています。

いわゆる「A案」では、

第六条の二
移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。

また「B案」でも、

第六条の二
移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者(十二歳に達した日後において当該意思を表示した者又は表示しようとする者に限る。)は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。

という改正案が提示されています。

どう考えても、現行の臓器移植法の第二条と矛盾する内容だと思うんです。なのに「第二条」の改正については触れられていない。

この改正案を作成した方々は、臓器移植法の「基本的理念」を理解されていないのでしょうか?それとも、自分が改正したいと思っている部分のほかの条文は、見ていないのでしょうか?
もちろん、「公平とは何か?」という問題があることは事実です。そしてこの「公平」についての問いは、ジョン・ロールズによって点火された政治哲学や社会科学の一大研究テーマなのだと思います。
そもそも現行法の基本的理念の「死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重されなければならない。」という文言と「移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。」という文言とがぶつかる問題なので、そう簡単に結論が導かれるものではないハズです。(いわゆる「生命倫理の4原則」で表現すれば、「Autonomy」と「Justice」という2つの原則の葛藤が生じることになります。)
研究者ではない国会議員に、政治哲学や生命倫理の研究蓄積を踏まえろということまで要求はしませんが、「改正案」を出すくらいなんだから、臓器移植法の「基本的理念」くらいは、きちんと踏まえたうえで議論してもらいたいものです。

この優先提供の問題と移植医療の「公平性」については、以前、『ソシオロゴス』という学術雑誌に論文を書いたりしてました。それもあって、今回の改正でも気になっているわけでした。
●『ソシオロゴス』29号の目次

※追記(2009.5.19)
WHOの移植指針が改定されるということが、今回の「臓器移植法改正」論議の「外圧」とされていますが、改定される予定の新しいWHO移植指針には、次のような原則があげられています。(訳出は私的なものなので間違いもあると思いますが…。)

Guiding Principle 9
The allocation of organs, cells and tissues should be guided by clinical criteria and ethical norms, not financial or other considerations. Allocation rules, defined by appropriately constituted committees, should be equitable, externally justified, and transparent.


原則9
臓器、細胞および組織の配分は、医学的規準および倫理的規範に従って行われるべきであり、財務やその他の考慮を交えるべきではない。適切に設置された委員会によって定められた配分ルールは、公平で(equitable)、外部から正当化されたもので(externally justified)、透明性を有するべきである。

「親族への優先提供」という考え方が、この原則に反する可能性はあります。