参議院でのA案可決、成立について

13日の参議院本会議で採決された「臓器移植法改正案」ですが、個人的にはもっとも「危険」であると思われたA案が可決し、成立しました。
この事態に対して、すでに、採決直後からいくつかのグループが記者会見し、意見表明をされています。
生命倫理」に関わる研究をする身として、あるいは、大学や高校で「生命倫理」などを担当させてもらっている身としては、「生命倫理会議」の先生方が、どのような見解を持っておられるかを、多いに参考にしてきました。「生命倫理会議」も、この事態に対する緊急声明を発表しています。
 生命倫理会議: 参議院A案可決・成立に対する緊急声明

今回の件に関して、取材が多く大変だったと思われる移植ネットワークも、短いコメントを発表していますね。
 臓器の移植に関する法律の改正に伴うコメントについて

正直な気持ちとして、「A案成立」を喜ぶことはできません。移植を待つ患者の方々には吉報なのかもしれませんが、そうした「メリット」に対して、危険性や「デメリット」があまりにも大きすぎると思える「改正案」だからです。

とはいえ、成立してしまったものは仕方ありません。これで専門的な研究に意味がなくなるというわけではないので、今後も「脳死」「臓器移植」の問題については、検討を続けてゆきたいと思っているわけです。

今後の動向を考える上で、いま、個人的に着目していることが、いくつかあります。「長期脳死の子どもと家族の今後」や「小児の脳死判定基準作成」「教育現場への影響」など重要な論点もありますが、とりあえず、専門家ではなくとも、ネット上の情報源だけで十分に実行できることを3点ほど挙げたいと思います。

(1)「A案への改正」の効果の検証
まずは、この「A案」による効果の検証です。日本移植学会作成の資料では、「A案」であれば、年間の脳死状態のドナーからの臓器提供数、小児の臓器提供数について、以下のように予想されていました。

臓器提供は増加するのか?
(A案)年間70例近い脳死臓器提供が見込まれ、現在よりもかなり多くの患者の命を救うことができると予想される。


小児の心臓移植・肺移植可能年齢は引き下げられるか
(A案)家族の同意で提供可能であり、年間3-5例の移植が可能である。


「臓器移植に関する法律」の改正案の比較(PDFファイル)より

この移植学会による「比較表」は、客観性や公平性という点で、かなり問題のあるものだと思います(この件については、5月17日のエントリーを参照)。
そうした問題は、ひとまず無視するとして、この「予想」については、きちんと検証する必要があると思います。
この点は、日本臓器移植ネットワークのHPで公開されている移植に関するデータなどを通して、容易に検証できるものです。
 日本臓器移植ネットワーク | 移植に関するデータ | 臓器提供数/移植数 - 臓器移植に関する提供件数と移植件数(2019年)
もちろん、「A案への改正」が実際に施行される、つまり法律として運用されるまでには、これから1年あるとのことです。1年後、2年後になっても忘れずに、この検証作業は行われるべきものだと思います。

(2)小児の海外渡航移植は、本当になくなるのか
関連して、小児の海外渡航移植が本当になくなる、あるいは減少するのか、ということがあります。
これも日本移植学会のデータですが、「臓器移植ファクトブック2008」によると、海外で心臓移植を受けた症例数は、1998年以降、年4例から15例の間で推移しています。そのうち、18歳未満の小児が海外で心臓移植を受けた症例数は、年3例から9例の間で推移しています。
 臓器移植ファクトブック2008
上で引用した、移植学会の予想では、小児の心臓移植・肺移植は、年間3-5例が可能となるとのことです。
この予想通りならば、海外で心臓移植を受ける小児の症例数は、年間4-6例になるはずです。
この数字からすると、「改正」前の状況と比べて劇的な変化はないのかもしれません。
さらに、「待っていれば国内でも移植を受けられる」状況になることで、どうしても海外での移植を求める患者・家族は、現在よりもつらい状況に陥るのではないかと危惧されます。
とりあえずは、小児の海外渡航移植の実施件数について日本移植学会が公表するデータやメディアでの報道を通して検証できると思います。また、国内での脳死状態の小児からの臓器提供と移植実施件数についても、日本臓器移植ネットワークの公表するデータで検証できると思います。
小児に限りませんが、募金活動などをされている方々の情報は、日本移植支援協会のHPでも確認することが出来ます。海外渡航を希望する方のすべてではないですが、いま現在、どのくらいの数の方が募金活動を行っているのかが、わかるかと思います。
 NPO日本移植支援協会
これも施行されてからのことで、1年後、2年後にならないと検証作業はできませんが、忘れられてはならないことだと思います。

(3)いつ「第82例」が実施されるのか
ところで、国会で「臓器移植法改正案」が審議されている間、「脳死からの臓器提供」が実施されたかどうか、即答できる人は、どのくらいいるでしょうか。
1997年10月の現行法施行以降、「脳死からの臓器提供」は81例あったとされています。その「第81例」は2009年2月に行われたものです。
 日本臓器移植ネットワーク | 移植に関するデータ | 脳死での臓器提供 - 脳死臓器提供
2008年は3月、4月、5月、6月の4ヶ月間に5例、2007年も同じ期間に4例の「脳死からの臓器提供」がありました。それに対して、今年2009年は、この4ヶ月間に「0例」だったのです。(2006年は6例、2005年は2例、2004年は1例、2003年は0例でした。)
ここ数年の動向と比較すると、「おや?」と思うくらい少ないわけです。「誤差の範囲」と言えば、それまでかもしれません。こうやって匿名化され、脱文脈化された「数字」だけで判断するのも、どうかと思いますが、「移植法改正」論議がされているさなかに、「脳死からの臓器提供」が行われれば、マスメディアや社会から注目されることは必定だったわけです。ということは、そうした注目を避けたいという意識も働いて、この4ヶ月間に「脳死からの臓器提供」が行われなかったのではないかと想像してしまいます。
こうしたことを踏まえて、次の「脳死からの臓器提供」、つまり「第82例」が、いつ、どこで実施されるのか、その際は法律法令・ガイドラインがきちんと順守されているのか、ということに注視したいと思っています。
管見の限りですが、これまでの「81例」すべてを新聞記事として報道し続けていたのは、毎日新聞だけではないかと思います。
こうした新聞メディア、ネットメディアのみならず、移植ネットワークのHPなどを通して、いつ「第82例」が実施されるのか、つまり、ここ数ヶ月間、一時的に実施されていなかった(=モラトリアム状態だった)「脳死臓器移植」が、いつ再開されてゆくのか。
もちろん、「第82例」だけではなく、今後も、こうした各事例の検証は最低限必要な作業です。こうした最低限の検証作業を忘れないためにも、まずは次の「第82例」に気をつけたいと思うわけです。

今後も「脳死臓器移植」問題を検討し続けるためにも、少なくとも、これらの情報には敏感であり続けたいものです。そして、こうした検証作業を通して、「脳死臓器移植」とは、どのような「医療」なのか、あるいは、どのような「医療技術」なのか、そして、どのような問題があるのか、ということを検討してゆきたいと思います。