「脳死移植ゼロ」という現実―「脳死移植」の理解が深まるとは、いかなることか

先週になってしまいましたが、9月4日の日経新聞朝刊社会面に「脳死移植 半年ゼロ」という記事がありました。
NIKKEI いきいき健康 ネット版では冒頭の2段落分しかありません…(今日のエントリーの最後に記事全文を引用しました)

この7月に「臓器移植法改正」が国会で可決・成立したのですが、この半年間、脳死状態からの臓器提供事例が全く無い、というのがここで確認されていることです。7月14日のエントリーでは、「いつ「第82例」が実施されるのか」として、既に「ゼロ」が続いていることを指摘してあります。今回の日経新聞の記事は、その「ゼロ」がまだ続いていることを指摘しているわけです。

なぜ「ゼロ」なのか、というわけですが、日経新聞の記事では、日本臓器移植ネットワークの担当者の話として、「臓器移植法改正」論議の影響が指摘されています。

この「改正論議」においては、脳死状態と判定されても1ヶ月以上心臓が動き続ける「長期脳死」や、脳死状態の患者が腕を高く上げるなど四肢を動かす「ラザロ徴候」(脊髄自動反射とされる)などが紹介されました。こうした脳死状態をめぐるより詳細な情報が普及したことによって、「家族が脳死移植に同意しにくくなっているのでは」と危惧されているそうです。
よく考えてみれば、これはちょっと可笑しなことかもしれません。
脳死状態がどのような状態なのか」ということに関する情報が広まり、人々の理解が深まることは、望ましいことだと思われます。たしかに、「脳死状態と判定されても「生き返る」かもしれない」という、定義上ありえない考えが広まるのは、「誤解」と言えるかもしれません。けれども、「脳死状態」になっても「心臓が動き続ける可能性」があるときに、見守る家族が臓器提供を承諾することは、心理的に大きな負担になる場合もあるのではないでしょうか。というよりも、「脳死状態からの臓器提供」とは、そのような心理的負担の存在を想定すべきものなわけです。
するとこれまでは、こうした心理的負担を喚起する「脳死移植にとって都合の悪い情報」が広く知られていなかっただけだった、ということが言えるのかもしれません。現に、日本臓器移植ネットワークのホームページには、「長期脳死」や「ラザロ徴候」についての説明が、無いのです。
脳死移植についての理解を深める」と言った場合、それは、「脳死状態についてよく知る」ことを含むと考えるのが文字通りの解釈であって、「脳死状態からの臓器提供件数が増えるようにする」こととは別のことです。この意味で「脳死状態についてよく知る」ことによって、「脳死状態からの臓器提供件数が増えない/減少する」という結果になったとしたら、それこそが「脳死移植の現実」なのかもしれません。

もちろん、移植を待つ患者さんが多数いることも現実ですが、臓器提供者(ドナー)がいなければ臓器移植は実施できないわけで、ドナーとなる人々のことにどれだけ配慮できるかどうかが、肝要なはずなのです。
7月に駆け込みで成立した「臓器移植法改正(A案)」は、移植を待つ患者さんを支援する団体や日本移植学会もハッキリと支持した法案でした。今回の「改正」は、「脳死移植の現実」を改めて思い出させたという意味においては、とても有意義だったのかもしれません。

というわけで、以下が日経新聞の記事全文です。

 今年3月以降、脳死移植が1件も行われていない。6カ月連続ゼロは、過去最長の8カ月に次ぐ長さだ。7月に改正された臓器移植法を巡る議論で、脳死に対して提供者側の誤解や医療機関の萎縮を招いたと指摘する声もある。このままでは来年7月に改正法が完全施行されても、脳死移植が増えない恐れがあり、厚生労働省は「脳死移植の理解を深めたい」としている。
 国内の脳死移植はこれまでに計81件実施している。今年は1月に月別では過去最多となる4件実施されたが、2月上旬に名古屋市内に入院していた成人が今年5件目となる脳死移植となって以降、月別では6カ月連続ゼロとなっている。
 国内の脳死移植はこれまでに計81件実施している。今年は1月に月別では過去最多となる4件実施されたが、2月上旬に名古屋市内に入院していた成人が今年5件目となる脳死移植となって以降、月別では6ヶ月連続ゼロとなっている。
 1999年2月に国内初の脳死移植が実施されて以降、月別で脳死移植のゼロが続いたのは同年7月〜翌年2月までと、2003年1月から8月までの8ヶ月が最長で、今回はそれに次ぐ長さとなっている。以前は意思表示カードの記入ミスなども目立ち、移植件数が増えない一因だったが、今回の空白期間は厚労省も「原因は分からない」と首をかしげる
 日本臓器移植ネットワーク(東京・港)の担当者は今年4月以降、臓器移植法改正を巡る議論が活発化したことが影響していると指摘する。議論では脳死と判定されても1ヶ月以上心臓が動き続ける「長期脳死」なども紹介された。「長期脳死」で回復したケースはないが、「家族が脳死移植に同意しにくくなっているのでは」と危惧する。
 97年に成立した現行法では、本人の脳死となった場合の臓器提供意思と家族の承諾を条件に「脳死は人の死」と規定している。担当者は「脳死は人の死の一つであり、これまで81件の脳死移植が実施されている」と理解を求めている。
 医療機関側の要因もあるようだ。ある救急医は「法改正論議脳死移植のあり方に対する賛否が分かれている時にあえて脳死移植をする雰囲気ではなかった」と漏らす。
実際、心臓が停止した後に臓器提供するケースは増加傾向にある。今年は7月末までで73件に達し、99年以降で過去最多だった102件(06年)を上回るペースだ。「脳死移植の可能性がある患者も、脳死判定をせずに心停止後の移植を選ぶ傾向が強まっている」という憶測も広がる。
 今回の法改正で臓器提供の意思表示カードを所持していないなど本人の意思表示が不明の場合、家族の承諾で脳死移植が可能となった。このため日本移植学会などは「移植件数が増加する」と見込んでいる。
 ただ同ネットは「脳死移植への理解が深まらないと、せっかく法改正しても国内で脳死移植ができない状態が続くのではないか」と懸念。厚労省も「もし誤解が広がっているならば、普及啓発をさらに強化したい」としている。
脳死移植ゼロ」『日本経済新聞』2009年9月4日朝刊社会面(記者の署名は無し)

「ある救急医」が漏らしたという話についても、臓器提供者となる患者側の視点、その患者を担当している医療者の視点が重要であることを示していますね。
心停止後の臓器提供件数が増加傾向にある、というデータについては、ちょっと別の解釈も出来そうです。それについては、また別の機会に。