生命倫理会議「臓器移植法改定に関する緊急声明」への勝手な解説(2)

生命倫理会議が公表した「臓器移植法改定に関する緊急声明」への勝手な解説の続きです。生命倫理会議のサイトから声明文を引用しつつ、それらに「勝手な解説」を加えてみたいと思います。
先日のエントリーでは、声明のうち、前文、1)、2)について解説したので、3)についてからになります。

3)臓器不足を解消するのに最善の策とされるA案は、脳死の扱いと臓器の提供条件に関して、米国ですでに22年前から施行されている法律と基本的に同様である。にもかかわらず、米国でも“臓器不足”の解消は果たせず、そのため日本とは逆に、従来は禁忌の対象であった生体移植が増えている。それゆえ、A案に限らずいかなる法規定であっても、“臓器不足”を解消しがたい。

移植実施件数で言えば、世界最大の移植大国であるアメリカでも、「臓器不足」は深刻な問題となっています。UNOSあるいはOPTNが提供しているデータによると、2009年5月末現在、心臓移植の待機患者数は2,785人。それに対して、年間の心臓移植実施件数は、2,000〜2,200件(2008年は、2163件)。腎臓移植の待機患者数は、79,747人なのに対して、年間の腎臓移植実施件数は16,000〜17,000件(2008年は、16,517件)となっています。つまり、日本の臓器移植法よりも提供に関する条件が緩いと言われているアメリカでも、「臓器不足」は解消できていないわけです。
脳死は人の死」だとするアメリカならば、臓器移植は脳死移植がほとんど、と思われるかもしれませんが、ここ数年はドナーとなった人の43〜45%は、生きている人です。つまり、全ドナーのうち4割強は生体ドナーということになります。もちろん、日本に比べれば低い数字ですが、それでも、脳死ドナーだけでは移植に必要な臓器を賄いきれていないのは明らかです。とくに、2001〜2003年の3年間は、死体ドナー(脳死ドナーを含む)よりも、生体ドナーの方が多くなっていました。
脳死移植が進んでいるという印象のアメリカでさえ、生体移植は行われているのです。
ところで、アメリカではUNOSやOPTNという機関が、こうして詳細なデータを収集し、公開しています。とくに移植実施件数だけではなく、ドナーの人数まで生体と死体にわけたデータが入手できます。それに対して日本の場合は、日本臓器移植ネットワークが対象としているのは脳死移植と死体移植だけで、生体移植に関するデータは入手できません。日本移植学会が作成している「ファクトブック」には移植実施件数の報告はありますが、ドナーの人数についてはデータがありません。「すい臓」の項目を除いて、ドナーに関する言及もほとんどなく、ドナー軽視の姿勢が明確に出ているように思えてします。そもそも、各臓器ごとに分けられたデータしかなく、生体移植を含めた臓器移植全体のデータを一元的に管理している公的機関はありません。少なくともアメリカ並みに容易にデータが入手できる状態にしなければ、最低限の社会への説明責任を果たしたとは言えないのではないかと思います。

4)またA案もD案も、臓器提供をめぐる「本人同意」さえ不要としているが、それは現行法の基本的理念を改廃することであり、もはや「見直し」ではなく「新法制定」と言っても過言ではない。だが両案では、現行法制定までの議論すら顧みないまま、臓器提供の条件緩和に主眼が置かれている。この点で両案には、人の生死の問題を扱うのに必須の慎重さが欠けていると言わざるをえない。

  • 現行法の基本的理念

現行の臓器移植法では、第二条で「基本的理念」が示されています。『臓器移植法ハンドブック』の逐条解説を参照すれば、第二条の1項では「提供者本人の提供意思の尊重が謳われているのである」。そして2項では、「本人にしろ遺族にしろその提供には、不当な圧力や強制がかけられてはならず、純粋に自らの自由な意思決定に基づいたものでなければならないことを謳ったものである」とされています。(3項と4項の内容は省きます。)
こうした基本的理念があるにも関わらず、「本人の提供意思」が定かではない場合でも臓器提供を可能にすることは、臓器移植法の「改正案」というよりは「新法」になるのだ、と指摘されているのです。

  • 現行法制定までの議論

1997年に現行の臓器移植法が成立するまで、長く見積もって1968年からの約30年間、短くみても日本医師会生命倫理懇談会の「脳死と臓器移植についての報告」がまとめられた1988年から約10年間、あるいは、脳死臨調が設置された1990年から7年間の議論が展開されていました。その議論はおそらく、質・量ともに世界に誇ることのできる水準のものです。
脳死は人の死か」という論点については、それだけの時間をかけて議論しても決着せず、現行法の枠組みになったわけです。そうしたプロセスを無視している、ということが指摘されているわけです。

5)そもそも臓器移植の成績は生着率・生存率で示されるだけで、肝腎な延命効果は、統計分析されていないため、明らかではない。心臓移植をしない方が1年生存率は高い、という米国の研究論文すらある。したがって、まず臓器移植をした場合としなかった場合の生存率を比較調査し、さらに臓器移植の予後について、良好な場合も、そうでない場合も明らかにし、科学的な検証がなされるべきである。

  • 移植後の生着率・生存率

臓器移植の成績として示されるものに、生着率と生存率があります。生着率というのは、移植を受けた人のうち、移植した臓器が機能している割合です。それに対して生存率というのは、移植を受けた人が生存している割合です。いずれも、カプラン‐マイヤー法による生存確率として算出されるものです。生着率も生存率も、同じことのように思われるかもしれませんが、腎臓移植の場合、移植された腎臓が機能を失っても人工透析によって患者は生存しているということがあります。また、アメリカなどでは二度目、三度目の移植を受ける人もいます。つまり、移植した臓器が働かなかったとしても、次の臓器を移植して生存している人はいます。
たとえば、1997年から2000年の間に腎臓移植を受けた人を対象としたOPTN提供のアメリカのデータでは、18-34歳で腎臓移植を受けた人のうち、5年後の生存率は93.8%となっています。その同じ対象での、5年後の生着率は72.3%となっています。ここには20%もの開きがあるわけです。
しかしながら生着率も生存率も、移植した後の成績であり、移植した場合と移植しなかった場合とを比較したものではありません。

  • 臓器移植による延命効果

以前、ある医学生のレポートに、「移植でしか助からない」という言い方は間違っている、という指摘がありました。正確に言うならば、「移植なら助かるかもしれない」、というわけです。移植を受けたからと言って、すべての患者さんが救われるわけではないのです。
それでは、移植を受けた場合と、移植を受けなかった場合と、どちらの方が延命効果があるのでしょうか。
生命倫理会議代表の小松美彦氏による『脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)』の66〜71頁を参照すれば、1991年に発表された論文では、心臓移植を受けるために内科治療で6ヶ月間生きた人は、その時点から6ヵ月後に移植を受けようと受けまいと、その時点からの1年生存率に大差ない、とあります。さらに9ヶ月以上、移植を待ちながら生きた人の場合は、心臓移植を受ける場合よりも1年生存率が高くなる、とも指摘されています。(小松氏が参照している医学論文の文献情報は、この本に載っています。)
このデータの信憑性を疑うことも、もちろん可能なのでしょうが、他に、こうした移植した場合と移植しなかった場合を比較した研究はないというわけです。

6)近年の米国では多臓器移植に代わる体外腫瘍切除が行われ、日本でも移植適応の拡張型心筋症の乳幼児へのペースメーカー治療が始まっている。政府・国会は本来、臓器移植を待つ患者のためにはそのような代替医療の援助にこそ尽力し、また国民すべてのために、交通事故対策と救急医療体制の再建を通じて、脳死者の数が増えないように努めるべきである。

ドナーという第三者を必要とする臓器移植ではなく、別の治療法はないのか。そして、脳死状態になってしまう人の数を増やさないようにすべきではないか。ここまでの項目をまとめるような指摘がされています。
なお、この項目に関しては、生命倫理会議のブログに関連情報があります。生命倫理会議: 緊急声明に関連する情報を参照してください。


というわけで、ひとまずここまでにしたいと思います。続きは、さらにまた、改めて。

※追記
つづきは、6月12日のエントリーにあります。