クマムシのクリプトビオシス

衆議院での「臓器移植法A案」可決以後、採点やら研究会やらに追われ、気がつけば1週間ほど放置していました。
懐かしい方からのコメントや、刺激的なコメント、トラックバックも頂きましたが、お返事できておらず申し訳ありません。

ところで、「クマムシ」って知っていますか?
非常勤講師をさせてもらっている高校の特別授業で、クマムシについての話を聞いて、いろいろ考えた、というか、想像力を刺激されることがありました。


クマムシ」というのは、「ムシ」と呼ばれていますが、緩歩動物(かんぽどうぶつ)という門に属する動物です。つまり、昆虫(節足動物)ではありません。(ちなみに英名は、water bearsと言うそうです。) →wikipediaでの緩歩動物についての項目

このクマムシにも当然、様々な種類があるわけですが、なかでも乾燥に対して耐久性をもつものがいる、その耐久性がすごい、ということで知られているかもしれません。
特に2008年の秋には、宇宙空間にそのまま、言うなればハダカの状態で放り出されても、数%の個体は「生きていた」ということが報じられました。 →http://wiredvision.jp/news/200809/2008090922.html ※生きていたのは、すべての個体、ではなく、わずかな個体だったそうです。それは、この特別授業で知りました。

クマムシのなかには、乾燥に対して、自ら乾燥して身を守るものがいるのです。
乾燥から身を守るため、乾眠(かんみん)と呼ばれる状態になって、自らを乾燥した状態にしてしまうわけです。「樽(tun)」と呼ばれる状態になると、絶対零度に近い低温から150℃を越える高温、放射線や紫外線、真空や高圧にも耐えることができる、という性質を持っているのです。この「樽」の状態で過酷な環境をやり過ごしたあとに、水分を与えてやると、クマムシは「樽」の状態から徐々に復活して、活動しはじめる、というわけです。

このクマムシは18世紀後半に発見され、大きなものでも体長1ミリを越える程度の動物です。それでも、その生態についてはわかっていないことが多くあるそうです。そこがまたミステリアスでもあり、「樽」の状態になった際の耐久性の強さなど、興味がひかれるものであります。

何より興味をひかれたのは、このクマムシをめぐる言葉でした。
乾燥した状態、代謝をなくした状態のことを、クリプトビオシス(cryptobiosis)と呼ぶそうですが、この言葉は、「crypto隠れた+biosis生命」という意味になるとのことです。つまり、干からびてしまって生きているとは思えない状態、けれども、そこには「生命」が隠されている状態、というわけです。

もし、クマムシの乾眠状態あるいは「樽」の状態を「死んでいる」と考えるとなると、水分を与えられて、再び活動するようになるクマムシは、「死」から復活した、ということになるわけです。
でも、「科学」の立場からすれば、「死」から復活した、なんて言えないわけです。そんなことを言っては「科学」ではなくなってしまうわけです。そこで、「生」が隠されている状態、という、クリプトビオシスという言葉が生まれた、と教えてもらいました。*1

このクリプトビオシスという言葉には、「生命」という意味が組み込まれているわけですが、そこで改めて「脳死」という言葉についても、考えてしまいました。

脳死」と言われると、「死」という言葉から「死んでいる」と連想しやすいわけです。でも、クリプトビオシス=隠れた生命と言われると、そこには「生」、つまり「生きている」と連想できます。
「不可逆的昏睡(irreversible coma)」とか、「超昏睡(le coma depasse*2 )」と言われれば、「死んでいる」とすぐに連想するわけではないと思うのですが、「脳死(brain death)」と言われると「死んでいる」と連想してしまう。そこに、言葉のもつ力を感じてしまったわけです。
もちろん、「脳死状態」になってしまうと、その状態から回復することはない、というのが「定義」なわけです。でも、「長期脳死」の事例などを考えると、「脳死状態」を「死んでいる」と即断できない状況だってあるのではないかと思えてしまいます。

要するに、「生きている」とか「死んでいる」という言葉そのものは、科学的なものではない。クマムシの話から、そんなことを考えてしまいました。

やはり、「いきもの」って不思議ですね。
体長1ミリ前後のクマムシについてだって、わからないことだからけなのですから、「人間」というか「ヒト」についても、わからないことだらけだって、当たり前という気がしてしまいました。「わからなない」ことに対しては、「わからない」と言う誠実さ。どんな学問であっても、そこは大切にしたいと思ったわけです。
クマムシという、人間の大きさから考えればごくごく小さな動物についての話は、宇宙へと広がるスケールを持ち、生命とは何かという深遠さまで持つ、とても刺激的なものでした。

クマムシ?!―小さな怪物 (岩波 科学ライブラリー)

クマムシ?!―小さな怪物 (岩波 科学ライブラリー)

*1:このあたりのクマムシの「樽」状態をめぐる科学論争については、科学史的な研究があるのかと思います。チャンスがあれば、探してみようと思いました。

*2:「depasse」にある二つの「e」には、アクサンテギュがつきます。