WHOの(新)移植指針について

今回の「臓器移植法改正」論議で、「外圧」として挙げられているのがWHO(世界保健機関)の移植指針改正です。5月のWHO総会で採決される予定だったという、この移植指針の存在が、早ければ今月中とも言われる「改正案」採決を後押ししていたのではないでしょうか。(もちろん、他にも要因はあると思いますが…)
けれども、このWHOの指針。メディアでの報道され方と、その中身とは、必ずしも一致していないようです。生命倫理政策に詳しい臏島次郎(ぬで島次郎、「ぬで」は木へんに勝)氏が5月9日の『毎日新聞』で述べていますが、WHO指針が今回改正されるのは、「臓器売買の抑制」が目的であって、移植のために海外渡航すること自体が規制されるわけではないし、子どもが移植を求めて海外に行くことが禁止されるわけではない、とのことです。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090509ddm012040075000c.html

というわけで、新しくなるWHO指針は、どのようなものなのか。
国際移植学会による2008年5月の「イスタンブール宣言」と同様なのか。
今回の「臓器移植法改正」論議で提出されている「改正案」は、このWHO指針と比較した場合、どうなのか。

WHOのサイトには日本語版のWHO指針はないのですが、英語版などをもとに確認してみたいと思います。(Webで検索しても、日本語訳を公開しているという情報は見当たらなかったので…)

WHOの新しい移植指針についてのページ(英語)


まずWHOの移植指針の名称を正確に認識する必要があります。

WHO GUIDING PRINCIPLES ON HUMAN CELL, TISSUE AND ORGAN TRANSPLANTATION

訳をつけるとすれば、「WHO(世界保健機関)人の細胞、組織および臓器の移植についての行動原則(指針)」という感じでしょうか。*1

「細胞、組織および臓器を、移植を目的として、死亡した人および生きている人(deceased and living persons)から摘出することが許されるのは、以下の原則(Guiding Principles)に従っている場合のみである。」という言葉に続いて、全部で11の原則(Guiding Principle)が示されています。*2

Guiding Principle 1

Cells, tissues and organs may be removed from the bodies of deceased persons for the purpose of transplantation if:
(a) any consent required by law is obtained, and
(b) there is no reason to believe that the deceased person objected to such removal.

この原則1は、死亡した人の身体から臓器や組織などを摘出できるのは、「(a)法によって求められている同意(consent)が得られている場合」、なおかつ、「(b)死亡した人が、その摘出に対して反対していたとする理由がない場合」と規定しています。*3

Guiding Principle 2

Physicians determining that a potential donor has died should not be directly involved in cell, tissue or organ removal from the donor or subsequent transplantation procedures; nor should they be responsible for the care of any intended recipient of such cells, tissues and organs.

この原則2は、ドナーとなるかもしれない患者の死の判定に関わる医師は、臓器摘出などの移植手続きに関わらない、レシピエントとなる患者の治療に関わらない、ということを求めています。

Guiding Principle 3

Donation from deceased persons should be developed to its maximum therapeutic potential, but adult living persons may donate organs as permitted by domestic regulations. In general living donors should be genetically, legally or emotionally related to their recipients.
Live donations are acceptable when the donor’s informed and voluntary consent is obtained, when professional care of donors is ensured and follow-up is well organized, and when selection criteria for donors are scrupulously applied and monitored. Live donors should be informed of the probable risks, benefits and consequences of donation in a complete and understandable fashion; they should be legally competent and capable of weighing the information; and they should be acting willingly, free of any undue influence or coercion.

この原則3では、死亡した人からの臓器提供が、治療として最大の可能性を持つように発展させるべきだとしつつ、生体移植(生きている人からの臓器提供)について規定しています。
まず、生体移植は国内の法規制によって許される場合に可能であるということ、それから、ドナーとレシピエントには、遺伝的、法的あるいは情緒的なつながりがあること、とされています。
そして、「自発的なインフォームドコンセント」が得られていることです。リスクと利益についてなど情報の提供を徹底し、さらにそれが理解できるような方法で行われること、ドナーは法的能力を持っていて、情報をきちんと考慮することが出来ること、そして「いかなる不当な影響や強制からも自由に、自らの意志にもとづいて行動」できること。生体移植の「インフォームドコンセント」に関して、これだけのことが規定されています。
それだけではなく、「ドナーへの専門的なケアが保証されている」「フォローアップがきちんとしている」「ドナー選択基準が誠実に適用されている」「それが監視されている」ということも規定しています。
つまり、生体移植について、かなり詳細に規定しているということです。

Guiding Principle 4

No cells, tissues or organs should be removed from the body of a living minor for the purpose of transplantation other than narrow exceptions allowed under national law. Specific measures should be in place to protect the minor and, wherever possible the minor’s assent should be obtained before donation. What is applicable to minors also applies to any legally incompetent person.

原則4は、未成年(minor)の生きている人からの臓器摘出についてです。ここでは、国内法で許された、わずかな例外を除いて、未成年からの臓器摘出は認めていません。さらに未成年から提供を受ける場合には、未成年であっても同意(assent)は必要だとしています(可能なときには、ですが)。そして、こうした未成年の提供者を保護するために、特別な立法措置(measures)が必要だとされ、この規定は未成年者だけではなく、法的な無能力者にも適用されるとしています。

Guiding Principle 5

Cells, tissues and organs should only be donated freely, without any monetary payment or other reward of monetary value. Purchasing, or offering to purchase, cells, tissues or organs for transplantation, or their sale by living persons or by the next of kin for deceased persons, should be banned.
The prohibition on sale or purchase of cells, tissues and organs does not preclude reimbursing reasonable and verifiable expenses incurred by the donor, including loss of income, or paying the costs of recovering, processing, preserving and supplying human cells, tissues or organs for transplantation.

この原則5で規定されているのが、臓器売買の禁止です。とにかく提供に際して、金銭的な支払いや金銭的な価値のある報酬はいけない、禁止すべきということです。ただし、ドナーへの妥当な(reasonable)補償や、提供された組織や臓器の修復、加工、保存、流通に関するコストも認められています。

Guiding Principle 6

Promotion of altruistic donation of human cells, tissues or organs by means of advertisement or public appeal may be undertaken in accordance with domestic regulation.
Advertising the need for or availability of cells, tissues or organs, with a view to offering or seeking payment to individuals for their cells, tissues or organs, or, to the next of kin, where the individual is deceased, should be prohibited. Brokering that involves payment to such individuals or to third parties should also be prohibited.

原則6では、提供を促進するための広告や宣伝について述べられています。ここでは、「売買」を意味するような広告や宣伝は禁止すべきとされています。さらに金銭の支払いをともなう斡旋(brokering)も禁止すべきとされています。

Guiding Principle 7

Physicians and other health professionals should not engage in transplantation procedures, and health insurers and other payers should not cover such procedures, if the cells, tissues or organs concerned have been obtained through exploitation or coercion of, or payment to, the donor or the next of kin of a deceased donor.

この原則7も、広い意味での「臓器売買の禁止」に含まれるような規定です。つまり、移植に関わる医療関係者は、その移植に用いられる「臓器や組織」が、合法的なものではない場合、そうした移植に関わってはならない、ということ。そして、そうした合法的なものではない臓器を用いた移植には、保険から支払ってはならないということ。搾取(exploitation)や強制(coercion)、支払い(payment)を伴った臓器を、それと知って使うな、ということです。

Guiding Principle 8

All health-care facilities and professionals involved in cell, tissue or organ procurement and transplantation procedures should be prohibited from receiving any payment that exceeds the justifiable fee for the services rendered.

医療機関と医療従事者は、正当な報酬を越えた額を手にしてはならない、というわけで「賄賂」や違法な仲介料などをもらってはいけない、ということですね。

Guiding Principle 9

The allocation of organs, cells and tissues should be guided by clinical criteria and ethical norms, not financial or other considerations. Allocation rules, defined by appropriately constituted committees, should be equitable, externally justified, and transparent.

この原則9では、臓器の配分について述べられています。提供された臓器を、どの患者に移植するのか、ということを決める臓器の配分問題(レシピエント選択基準)です。ここでは、医学的な規準や(おそらく正義などの)倫理的規範に従って配分されるべきで、金銭に関わることなどを考慮してはならない、とされています。また、この配分の基準には、「公平で(equitable)、外部から正当化されたもので(externally justified)、透明性を有する」ことが求められています。

Guiding Principle 10

High-quality, safe and efficacious procedures are essential for donors and recipients alike. The long-term outcomes of cell, tissue and organ donation and transplantation should be assessed for the living donor as well as the recipient in order to document benefit and harm.
The level of safety, efficacy and quality of human cells, tissues and organs for transplantation, as health products of an exceptional nature, must be maintained and optimized on an ongoing basis. This requires implementation of quality systems including traceability and vigilance, with adverse events and reactions reported, both nationally and for exported human products.

原則10と次の原則11は、新たな移植指針で付け加えられたものです。
まず原則10が求めているのは、ドナーの影響、提供後のドナーの健康状態をきちんと調査すること、です。移植を受けた後のレシピエントについての研究蓄積はあっても、提供した後のドナーについての研究は手薄だった、ということなのでしょう。生体からの移植が増えているからこそ、ドナーの「追跡可能性(traceability)や警戒を行う品質管理システム」が求められています。ここでは、不利なこと、不都合なことも、きちんと報告されねばならないのです。もちろん、こうしたシステムは、臓器売買の抑止にも役立つものです。

Guiding Principle 11

The organization and execution of donation and transplantation activities, as well as their clinical results, must be transparent and open to scrutiny, while ensuring that the personal anonymity and privacy of donors and recipients are always protected.

最後の原則11は、移植に関わる機関やその活動に対して、透明性を求めています。さらに、注意深く監視できるようになっていること、です。こうした透明性が、臓器の提供数を増やすことにつながるということなのだと思われます。


というわけで、WHOが更新する予定になっている移植指針についてみてきました。あくまでも公開されている文書で、それも行動原則に関するところだけですが、この指針を読む限り、移植のための海外渡航が制限される、という表現はありませんでした。あくまでも、臓器売買の禁止に主眼が置かれているというようにしか読めません。もちろん、見落としや誤読・誤解があるかもしれないので、そこは是非、教えてもらいたいところです。

国際移植学会による「イスタンブール宣言」*4では、たしかに国内での死体からの臓器提供を増やす努力が求められています(この「死体からの臓器提供」には、「脳死からの臓器提供」も含まれます)。けれども、それに比べて、このWHOの指針では、臓器提供を増やす努力に関してはトーンダウンしているように思います。
さらに、「イスタンブール宣言」における言葉の定義では、「移植のための渡航(Travel for transplantation)」と「移植ツーリズム(transplant tourism)」*5、「臓器取引(Organ trafficking)」*6や「移植商業主義(Transplant commercialism)」*7を区別しています。
こうした言葉使いに関して、WHO指針の原則そのものにおいては使われていません。*8もちろん、実質的に「臓器取引」や「移植商業主義」に対しては、禁止する方向性は打ち出されているわけですが、「移植ツーリズム」はもとより「移植のための渡航」(日本では海外渡航移植などとも言われています)を制限するような文言は見当たらないわけです。

もちろん、現実的に「移植のための渡航」が実現しにくくなる、あるいは、渡航しても移植を受けにくくなる、ということはあるのかもしれません。
ただ、それは、WHOの指針がそのような内容をしているから、ではなさそうです。

つまり、「WHO移植指針の改正=海外渡航の制限」という見方や、それが「外圧」になるというのは、WHOの指針の内容によるものではなく、メディアによって作られた虚像なのかもしれません。*9

それでは、この改定されるWHOの移植指針の内容に照らしたとき、それぞれの改正案は、どうなのでしょうか。長くなってしまったので、改めて、まとめたいと思います。
5月25日のエントリーでまとめてみました。

*1:ちなみに、『Encyclopedia of Bioethics (5 Volume Set)生命倫理百科事典)』でも、1978年刊行の初版こそ「臓器の提供(organ donation)」「臓器の移植(organ transplantation)」という項目ですが、1995年刊行の第二版以降は「臓器と組織の調達(organ and tissue procurement)」「臓器と組織の移植(organ and tissue transplantation)」という項目名に変更されています。WHOの指針も、1991年指針はタイトルこそ「人の臓器移植」ということでしたが、「臓器(organ)」という言葉で「臓器と組織」を意味していると述べられています。つまり「臓器移植」という問題群は、すでに「臓器」だけではなく、「組織」やさらには「細胞」の提供と移植まで含めて考えるというのが、世界的な傾向だと言えるのかもしれません。

*2:1991年指針で示されている原則は9つでした。

*3:1991年指針で示されている原則では、「生前に公的な意思表示(同意consent)がない場合」も含まれていたようですが、新しい指針では、その部分は削除されています。

*4:移植学会が公開している翻訳(PDF)を参照。

*5:イスタンブール宣言では、次のように定義されています。「移植のための渡航(Travel for transplantation)とは、臓器そのもの、ドナー、レシピエント、または移植医療の専門家が、臓器移植の目的のために国境を越えて移動することをいう。移植のための渡航に、臓器取引や移植商業主義の要素が含まれたり、あるいは、外国からの患者への臓器移植に用いられる資源(臓器、専門家、移植施設)のために自国民の移植医療の機会が減少したりする場合は、移植ツーリズム(transplant tourism)となる。」

*6:イスタンブール宣言では、次のように定義されています。「臓器取引(Organ trafficking)とは、移植用臓器の摘出が搾取の目的でなされる、すなわち暴力もしくは他の強制力の威嚇または行使、誘拐、詐欺、欺罔、権力もしくは弱者の状況の悪用、ドナーに対する支配権を得るための金銭もしくは利益の第三者に対する供与または受領などの手段による、生体・死体またはその臓器の調達、輸送、譲渡、保管または受領をいう」

*7:イスタンブール宣言では、次のように定義されています。「移植商業主義(Transplant commercialism)とは、売買の対象としたり物質的利得のために使用したりすることを含めて、臓器を商品として取り扱う方針や実践のことをいう。」

*8:ただし、原則に対する補足説明や、指針を更新する背景、必要性などを述べている部分では、「臓器取引」を中心に言及されています。

*9:あるいは指針に現れない、その場の雰囲気なのかもしれないです…。そうした雰囲気は、文書から読み取るのは困難です。