感染症対策と個人の権利

豚インフルエンザというのか、もう新型インフルエンザと呼ばれるのか、パンデミックの危険性が高まったようです。5月1日深夜1時の厚労大臣の会見をTVでみて(別の番組をみるつもりでいたのですが…)、感染症生命倫理(バイオエシックス)に関する研究というのは、日本では余り見かけないな、とふと思いました。
もちろん、ちゃんと研究されているのに、僕の狭い視野に入っていないだけなんだと思うのですが、いわゆるテキスト的なものでは、あまり目にしたことがないという印象です。(僕自身は、学部生時代の「生命倫理」だったか「倫理学」の授業で、こうした視点を教えて頂いたのですが…)

「医療倫理」についてのテキストである『入門・医療倫理〈1〉』や『入門・医療倫理 (2)』では、医療資源の配分問題として治療薬を使用する優先順位が取り上げられているくらいです。パンデミック感染症対策における「個人の権利」の扱いという視点はありません(「医療倫理」は、厳密に言えば「バイオエシックス」ではないですが)。『生命倫理とは何か』にはもちろん、『生命倫理学を学ぶ人のために』でも「感染症」については触れられていないように思います。

よく考えてみれば、「強制隔離」とは、個人の自由の剥奪にほかならないわけです。それも、最大多数のメリットのために、特定の人物の自由が一時的とはいえ制限される。
にもかかわらず、国家・社会を滅ぼすかもしれない感染症を防ぐためなら、個人の自由や権利なんて簡単に制限されてしまう、そして、その制限を当然だと誰もが思っている。
そうすると、臓器移植をめぐる思考実験として使われる「サバイバル・ロッタリー」が現実になる日も近かったりするのかもしれませんね。

新型インフルエンザに感染の疑いがあった方々は、幸い新型インフルエンザではなかったようです。匿名でしたが「話題」になってしまったインフルエンザ患者の方々の回復をお祈りしています。)